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秋田地方裁判所大曲支部 昭和45年(ワ)104号 判決 1973年3月27日

原告

金城太玉

右訴訟代理人

阿部正一

被告

医療法人明和会

代表者

高井龍一

被告

瀬戸泰士

被告両名訴訟代理人

金野繁

金野和子

沼田敏明

主文

被告両名は原告に対し連帯して金三〇万円、およびこれに対する昭和四五年八月二日から右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその二を原告の、その余は被告の各負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は「被告両名は原告に対し連帯して金一〇〇万円、およびこれに対する昭和四五年八月二日より右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決、並びに仮執行の宣言をもとめ、その請求原因を次のとおりのべた。

(一)  被告明和会は医療法人であつて中通病院を経営しており、被告瀬戸泰士は同法人の理事であるが、医師として右病院において医療行為に従事しているものである。

(二)  原告は、昭和四五年一月下旬ころから舌に異常を感ずるようになつたので、被告法人の中通病院において、被告瀬戸の診断を受けたところ、舌潰瘍であるが二週間程度の入院、加療によつて全治するとのことであつたので、同年二月二日同病院に入院して治療を受けていた。ところが被告瀬戸は、原告が極力これを拒否したのに拘らず、同月六日強引に原告の舌を切除する手術を施した。

(三)  医師は、治療行為の方法として患者の身体に侵襲を加える手術をなす際には、患者が意思能力未熟である場合、精神病患者である場合、特に急速を要する場合等を除いては、患者にその侵襲の本質、意味、射程範囲の大綱を説示し、患者の自己決定権に基づく承諾を得なければならないものである。仮りに、患者にその病名を告知することが治療上適当でない場合であつても、病名を告知せずにその侵襲の本質、意味、射程の範囲を説示することは可能であるといべきである。

原告は、当時、意識は鮮明であり、手術に対する諾否の意思能力は完全であつたところ、その承諾をしていないばかりか、積極的に、舌を切除する手術は絶対に拒否していたのである。にも拘らず被告瀬戸は、原告の意思に反しあえてその手術を行なつたのであつて、それは、医療行為の方法ではあつても違法行為である。仮りに百歩譲つて、被告らが原告の家族(妻と娘)にその病名を告知して手術の承諾を得たとしても、患者である原告本人の意思に反している以上、手術が違法であることに変わりはない。

よつて、被告瀬戸は不法行為者として、また被告法人は、右瀬戸の使用者として、前記手術によつて原告が受けた損害を賠償する義務がある。

(四)  原告は、右手術によつて肉体的苦痛をこおむつた外、咀嚼および言語機能に著しい障害が生じたため、食物を普通に摂ることも、人と会話することもできない状態となつて、多大の精神的苦痛をこおむつた。

よつて、被告両名に対し慰藉料として金一〇〇万円、およびこれに対する、訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和四五年八月二日より右支払いずみに至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いをもとめる。

二、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決をもとめ、答弁として、

請求原因(一)は認める。同(二)中、いずれも主張のころ、被告瀬戸が原告を診断して入院させ、舌切除の手術をしたことは認めるが、その余は否認する。原告は舌ガンであつて、その病巣が側縁部にあり、治療上の適切な処置として舌半側切除の摘出手術を行つたのである、とのべ、なお請求原因(三)以下に関し次のとおりのべた。

(一)  ガン、殊に根治不能のガンについては、その病名を患者に知らせることは、強いショックと苦悩を与えるばかりか、以後の治療効果の面からみてもマイナスが大きいので、医師としては、患者にその病名を知らせるべきではない。そして事実知らせていないのが現在の実情である。従つてその手術内容についても、患者にガンであることを悟られないような説示をしなければならず、一方、ガンの場合は常に生命の危険がさし迫つていて、手術は急を要するのである。以上のような理由から、ガンの手術についての同意は近親者から得るのを原則とし、患者自身からは、何らかの手術の承諾があれば十分とすべきである。

ところで舌ガンは一般に転移しやすく、原告のそれもある程度進行しているので、手術は緊急を要したのであるが、被告瀬戸は、昭和四五年二月六日手術当日に、原告の内妻今野テルと娘金城春枝に、原告は舌ガンであつて、それを摘出しなければならない旨説明して手術の承諾を得た外、原告本人に対しても、舌潰瘍である旨を話してその部分を焼き取ることの同意は得ているのである。従つて、被告瀬戸のなした手術行為は医師としての正当業務行為に外ならず、何ら違法性を有するものではない。

(二)  仮りに、患者(原告)本人の同意が右の程度では不十分であつたとしても、原告の手術は急を要したのであり、一刻の猶予が生命にかかわるものであつたから、被告瀬戸がその患部を摘出したことは、民法六九八条の緊急事務管理として違法性を阻却するものである。

(三)  なお、原告は、被告らの高度な倫理上の配慮を楯にとつて損害賠償を請求するものであり、信義に反し、また権利の濫用であつて許されないものである。

三、証拠<略>

理由

一、昭和四五年二月六日、医師である被告瀬戸が、原告の舌を切除する手術を行つたことは当事者間に争いない。そして<証拠>によれば、右手術は、舌ガンの病巣部分を摘出するため、その三分の一を切除したものであつたことを認めることができる。

ところで、医療行為であつても舌の全部又は一部を切除するというような手術を行なうためには、原則として患者の同意を得ることが必要であると解するので、原告が右手術に同意していたかどうか、ないしは同意と目すべき事実が認められるかどうかについて判断するに、<証拠>によれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、

原告は、昭和四五年一月ころから舌に異常を感ずるようになつて、大曲中通病院の診療を受けたのであるが、舌ガンであることが判明し、医師から舌を切り取る外はない旨言渡されるや(原告自身にその病名は告知されなかつた)、原告は、何とかして舌を切り取らずに治療する方法はないかと強引に要望したため、被告法人の経営する秋田市の中通病院に紹介され、そこへ入院した。右中通病院においても原告は何とか舌を切り取らないで治療してもらいたい旨要望していたのであるが、被告瀬戸や主治医高橋常彦も、ガンであるためその部分を切除する外はないと考えて、いろいろ原告を説得したのであるが、舌を切り取るのは嫌だの一点張りで容易に同意しないので、被告瀬戸および高橋主治医は、原告にガンである旨告知することもできず、かといつて病巣部分を摘出する以外の方法はなく、且つそれも急を要すると判断したため、何とかして手術にこぎつける必要から、原告に対し、舌を切り取るのではなく潰瘍の部分を焼き取るだけだからと説明したところ、原告は、その程度ならと不承不承納得した。一方、高橋主治医は手術の数日前に、原告の近親者であるその内妻と娘に個別に会い、原告の漬瘍は悪性のものであること、従つて切除しなければならない旨を告げて、その承諾を得ようとしたが、原告は自我が強く家族のいうことを素直に聞く人ではなかつたため、右両人も、本人次第という態度以上には出ず、また、手術当日被告瀬戸も、前記原告の娘に、手術する外はないのだから父親を説得するよう依頼したが、特にその反応も確認しないまま手術にとりかかつた――、以上のような事実を認めることができ、前掲各証拠中右認定に反する部分は、他の証拠との対比上措信することができず、外に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、原告が自分の舌を三分の一切除する本件手術に同意していたとは到底認められないという外はない。のみならず、<証拠>によれば、舌ガンの手術は舌の約半分を切除するのが普通であり、その結果言語および咀嚼機能が減退するのであるが、原告に対しそれらのことについての説明はまつたくしていないことが認められるので、以上のことを併せ考えれば、原告は本件手術を拒否していたと認めるのが相当である(原告の近親者も、手術を承諾していたとは認められない)。

二、原告が、被告法人の経営する中通病院の診療を受けた当時、すでに舌ガンであつたことは前記認定のとおりであり、<証拠>によれば、ガンはその発生部位いかんにかかわらず、手術してその病巣を取り除かなければ、必ず死亡するものであること、手術をしても、患者自身にまだ何の自覚症状もないような初期でない限り、根治はむつかしいこと、ただ本件のような舌ガンの場合は、一般に転移しやすいがまた転移していない時期ならば、舌を十分に切除することによつて根治する可能性があることを認めることができる。従つて被告瀬戸が、前記認定のとおり、原告の舌ガンに対する治療法はこれを切除する外にないと考え、而もそれは急を要すると判断したことは正当であつたと思われる。そのうえ、ガンの治療に当る医師は、患者にその病名を告知すべきでないと一般に考えられており、現在における医師界ないしは医学界における実情もそうであることは、前記前多証言により認められるところであるので、被告瀬戸が、原告に舌ガンであることを秘したうえでその手術の必要性を納得させることが至難であつたことも十分に理解できるところである。

しかしながら、生命、健康の維持、増進という医学上の立場からは不合理なことであるかも知れないが、前記のとおり原告は、舌を切除する手術を拒否していたのである。患者の意思が拒、諾いずれとも判断できない場合ならともかく、拒否していることが明らかな場合にまで、右の医学上の立場を強調することは許されないといわなければならない。前記前多証言中にも病名を秘して手術を納得させなければならない場合、医師としてはいろいろな手段、方法を工夫し、万難を排して患者の説得に努力するが、それでもあくまで拒否する場合には、結局手術は思い留らざるを得ない旨の証言部分が存するのである。

三、結局(被告瀬戸のなした原告の舌半側切除の手術は、原告の同意なしに行つた違法なものであつたというべきところ(原告の意思を排斥して手術しなければならなかつた理由も、緊急性も認められないことは、叙上認定事実に照らして明らかである)<証拠>によれば、原告は手術後しばらくの間食物を一口食べるにも汗を流すほどの状態が続き、また発声に苦しみ、会話が十分にできず、その年の夏ころ、再入院していることを認めることができるので、原告が肉体的、精神的苦痛を受けたことは容易に推測されるところである。従つて被告瀬戸は不法行為にもとづく損害賠償として右苦痛を慰藉する義務があることになる(原告の本訴請求が、信義に反しあるいは権利の濫用とはいえない)。

一方、被告法人が中通病院を経営して、被告瀬戸がそこに勤務する医師であること(請求原因(一)の事実)は当事者間に争いなく原告の舌ガン手術が右中通病院の事業の執行としてなされたことは明らかであるから、被告法人もまた、被告瀬戸と共に、原告に対し損害賠償としてその苦痛を慰藉する義務があることになる。

そして右慰藉料の額は、上記認定の各事実と、その不法行為の特殊性を考慮するとき金三〇万円をもつて相当となすべきである。

四、以上認定の次第であつて、原告の本訴請求は被告両名に対し連帯して金三〇万円、およびこれに対する昭和四五年八月二日(訴状送達の日の翌日は記録上明らかである)より右支払いずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払いをもとめる限度で正当であるから、これを認容し、その余は失当となるので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用し、なお仮執行の宣言は相当でないと認めてこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(高橋金次郎)

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